〔歴史散策〕野口雨情先祖ゆかりの地 豊田市野口町
豊田市野口町の位置
野口雨情の祖先は歴史を遡ること約700年、南北朝時代の南朝の忠臣楠正季(くすのきまさすえ)を先祖とし、足利氏を逃れて三河国加茂郡野口村(現豊田市野口町)に隠れ住み、その地名から野口姓を称しました。しかし豊田市野口町が野口雨情の祖先の地であることが分かったのは、平成になってからのことです。
平成9年、茨城県庁から当時の豊田市郷土資料館長の安藤勇氏に一本の電話が掛かってきました。
”豊田市に『野口』と言う地名はありませんか?”
この電話が発端となり、北茨城市の童謡詩人野口雨情の先祖の地は豊田市野口町であることが判明しました。
野口家には『吾家ヘ、其初メ楠七郎正季ニ出ヅ。吉野没落後、三河賀茂郡野口村ニ移ル、野口姓ヲ称ス
所以ナリ』で始まる雨情直筆(大正6年記)家伝の巻物があります。
平成14年3月雨情直孫の野口不二子氏が
この巻物を持参し、初めて 野口町を訪問されました。
熱烈なる歓迎を受ける中、この巻物を披露しつつ、
先祖が隠れ住んでいたと思われる神社周辺などの
案内にうなづきながら、この地が間違いなく
先祖の所縁の地であることを自ら実証され、
「先祖がお世話 になりました」と
涙ながらに感謝の心を捧げられました。
現在野口町の国道153号線の一本南の測道の脇に
三基の碑が建っています。
雨情の心情をたたえ、友好の証とし 町のシンボルとして
平成16年12月に建立されました。
野口雨情詩碑全景
詩碑(左側)
〔碑文〕
野口雨情先祖ゆかりの地
愛知県豊田市野口町
先祖は 楠木七郎橘正孝 二世の孫子より
出づ 南朝の末期 足助重範の裔族を頼り
三河国加茂郡野口村に隠棲し地名を以て
野口姓を称す。
野口自治区は花、ホタル、歴史の町であり、
野口雨情の先祖で楠木正季とつながる由緒ある
名家の里に、雨情の心情をたたえ伝える
ものである。
2004年11月吉日建之
野口雨情の心情碑(中央)
〔碑文〕
雨情の心情
童謡は素朴で、実直で、豊かな童心を伝える
人づくりの詩 民謡は情緒を伝える唯一の
郷土詩で、土を愛し、郷土を愛する詩である。
童心清し
直孫 野口不二子
童謡「七つの子」碑(右側)
〔碑文〕
七つの子 作詞 野口雨情
からすなぜ啼くの からすは山に
かわいい七つの 子があるからよ
かわいかわいと からすは啼くの
かわいかわいと 啼くんだよ
やまのふるすへ 行って見てごらん
丸い目をした いい子だよ
野神社の鳥居
(国道153号線より撮影)
野口雨情先祖ゆかりの地石碑
(野神社境内)
追記
雨情直孫の野口不二子氏は現在茨城県北茨城市の
県指定文化財「野口雨情生家・資料館」の館長を
務めておられます。
また、茨木県庁から問い合わせの電話を受けた、
当時の豊田市郷土資料館長の安藤勇氏は
豊田市郷土史研究会に在籍しています。
現在、豊田市郷土史研究会では会員を募集しています。
豊田市と近隣の諸都市における過去から現代までの
歴史の勉強を一緒に進めていける方々を募集しています。
豊田市外の方々も歓迎します。
令和元年10月3日
参考文献
・歌のふる里を巡りて 佐藤壽洲
・野口雨情先祖ゆかりの地 鈴木 功
・豊田市郷土史研究会会報
第7号(平成30年8月1日発行)4頁
この情報は、「豊田市郷土史研究会」により登録されました。