とよた市民活動情報サイト活動紹介・報告社会教育の推進〔歴史散策〕 豊田市高岡地区の鎌倉街道

〔歴史散策〕 豊田市高岡地区の鎌倉街道

公開日:2025年07月19日 最終更新日:2025年07月20日
登録元:「豊田市郷土史研究会

TTk04-16 会報4号 高岡地区の鎌倉街道 A6

豊田市高岡地区の鎌倉街道

 

 鎌倉街道とは鎌倉幕府成立後、全国から鎌倉に向けて作られた中世の道のことです。

京都から美濃路を経て尾張に入り、三河そして遠江へと続いていました。

幕府によって宿駅が置かれ、人馬継立の制度が整備されました。

 

豊田市の南西部に位置する高岡地区には、鎌倉街道の幹線道が通っています。

地区内の駒場町から隣接の知立市にかけての鎌倉街道沿いには、数多くの歴史的な人や物に関する史跡が残っています。

特に、在原業平(825~880)に関する史跡は有名です。

 

駒場町一帯は二村山や沓掛から八橋に至る道筋にあって、古くは「小浜の里」と呼ばれ、極楽寺の近くに貝塚が見つかったことからも、かつては海に面していたものと思われます。

「小浜の里」は、京と鎌倉を結ぶ動脈の一部で、将軍の上洛や公家、官人、僧侶、連歌師、庶民の往来や年貢の輸送など、人と物の流れが活発でした。

 

 

徳川時代に東海道の宿場町として栄えた池鯉鮒(知立)は、馬市も盛大に開かれていました。

おそらく「小浜の里」も馬と関連が深かったのでしょう。

現在の「駒場」となったのは、1510年以降の徳川時代と思われますが、馬が地名に大きく関与していると思われます。

 

駒場町に銭太鼓(県指定無形文化財)が伝承されてきたのも鎌倉街道の影響と思われます。

伝承によると京の公卿の遺児が旅人の求めに応じて京都で習い覚えた銭太鼓を踊って見せ、暮らしを立てたのが始まりと言われています。

この情報は、「豊田市郷土史研究会」により登録されました。

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